2.専門用語の共通理解の必要性
菅オンラインのやりとりをデジタル化されたカンファレンスの記録として残しておけば、「介護を科学にする」ための研究・分析に役立つデータが大量に蓄積されていきます。ただし、個人情報が特定の会社に集中することになるので、納得できるレベルの安全性を維持することは必須事項でしょう。あとは、一律にならない「利用者さんのバリエーションの広さ」をデータ化する。そのためのツールづくりも進めなければなりません。それを私は、自分が生きているうちに、やっておきたいんです(笑)。
さらに、「看護学」が確立されたり、ドクターが「医学」というバックグラウンドをもって話をするのと同様、「介護学」も認知されて力をもつことを望みます。それが次世代のケアマネジメントに生かされ、「介護学」が分野として「尊敬」されたものになっていき、介護関係者が医療と対等な専門家としてのバックグラウンドをもって、発言力を増す。 そこまで考えたときに、現在、必ずしもケアマネジャーが十分な*エビデンスをもって話しているわけではないということに思い当たるのです。そのあたりを、ケアマネジメントを牽引していらっしゃるお2人は、どのようにお考えでしょうか。
阿部例えば「ケアマネジャーとは何をする人であるのか」ということについても、学者によって考え方が異なります。それが現場にも影響しており、「ケアマネは何を支援するのか」に対して「生活」とすると大きすぎる。ソーシャルワーク理論との関係においても、介護保険施行から6年目と、まだまだ。また、ケアマネジメント学会でも、先生によって、おっしゃることがバラバラで。
つまり、「日本型のケアマネジメント学」はこれからで、ぶつかり合っている最中というのが現状です。
岡島そうですね。まさにケアマネのバックグラウンドは多種多様なので、ソーシャルワーク理論等も取り込みながら、「介護学」と「マネジメント学」を統合した「ケアマネジメント学」の基礎を固めなければ、専門的な高レベルに到達しません。こうしたことをかんがみても、「地域包括支援センター」に期待するところは大きいですね。現在のケアマネジメントリーダー等が今後、主任ケアマネ1期生として活動することで、変わっていくのではないでしょうか。都道府県の現任研修も基礎・専門研修とレベル別になってきましたし、介護保険も5年を経て、ケアマネも経験年数によってレベルにかなりの異なりが出始めてきたので、いつも同一の研修では対応できなくなってきました。地域でもレベル別研修を始めたりしています。
菅そのレベルは、どのように区分されるのですか。
岡島実務期間や専門の知識・技術に応じてでしょうか。新宿区のケアマネット新宿でも、全体の定例会や大きな全体研修の他に、年間通じた自主学習会としてレベル別研修を実施してきました。大体30人前後のグループ学習会です。平成14年度は医療・福祉の分野別研修で、各自足りない部分を補い、次の年からケアマネジメントの基礎・中級・専門とソーシャルワークコースを作り継続的に実施してきました。
各法人でも同様な人材教育システムを作りつつあります。つまり、仕組みとして重ねていかなければ、「ケアマネジメント学」ができあがりませんので。
菅まず、「ケアマネジメント学」に、さまざまな分野の学問が盛り込まれるため、現場で使われている専門用語すら、まだ統一が図れていない。そのため、学問の基本は同じ言葉を用いるということであるにもかかわらず、「実は意味が通じていなかった」ということがよくあるわけです。その一方で、医師が、自分たちの言葉を変えるのは難しい。
土橋私は、介護保険自体は、短期間でよく制度化されてきたと考えています。あとは、ケアマネジャーは今後、各サービス事業者から独立し、中立・自立を保つ方向に進むでしょう。ここまでサービス事業者が増え、経済的にも自立してくるにつれ、それにともなう責任が生じるので、「切磋琢磨」するようになっていくのではないでしょうか。
また、介護認定審査会の区分決定に関しても、限度額の区分を決めるだけの問題なので、そこにあまり労力を割く必要はなく、ケアプランが適正かどうかを評価することのほうが大切です。例えば、限度額ギリギリのケアプランであれば、ケアマネを呼び、状況を話し合って、きめ細かく対応し、必要に応じて区分変更を行うべきでしょうね。やはり、自立した、適正なケアプランを評価するためのシステムが必要です。
岡島今、「ケアマネジメントリーダー」として、ケアプラン評価会を組織していますが、まだ完全には機能していません。膨大な数のケアプランをていねいに検討すると、とても追いつきません。
阿部伊勢原でも、「ケアプラン適正化事業」に取り組んでいます。でも、限度額を超えてしまう場合に、ケアマネが、「ここをこう判断したから」というように、その理由を述べられないという問題があります。モニタリングをしても意味がなく、やはり、アセスメントの記録などの材料が用意されていないのです。ここから「学問」は始まると思うのですが…。
菅「なぜこの薬を出すのかは、この検査結果による」「この手術を行うのは、こうした効果があると期待できるからである」というようなエビデンスに裏打ちされた説明と、患者さんによる治療法の選択、といったインフォームドコンセントと同様ですよね。「なぜケアプランを増減させるのか」について、文書などにして審査会へと伝えるケアマネもいます。
こうして形に残すべくがんばっていることは感じますが、いかんせん根拠がないのです。「大変そうだから」「つらい状況だから」では、理由や具体的な状況は見えてこない。「専門家共通の言葉」で表現してほしいと、審査会のメンバーの間でも希望が出ます。
根拠となるアセスメントをきちんとして「エビデンス」が示せれば…
土橋根拠は、やはりアセスメントにあるはずです。それをきちんとして「エビデンス」が示せれば、「これは、あなたに必要なサービスではない」とケアマネジャーが言えるようになる。そのためにも、ケアマネの自立が必須です。アセスメントを根拠として、例えば、適正なサービスである/適正な事業では通らないというようなことをご利用者さんに説明できなければならない。しかし、個人のケアマネは、なかなかそれを口にしづらいので、それを支える背景として、「ケアプラン適正化事業」、そして「学問」が必要だというわけです。
菅その学問の部分は、医療が何百年もかけて培ってきたところですよね。
土橋そうです。そうやって積み上げてきたのが、「医学」という学問なのです。例えば「薬がいらないときさえも、薬を出さないと患者さんが不満を感じる」ということがあります。その場合、薬が必要ではない理由をきちんと説明するべきであるのと同様です。
苛原ただし、現場においては、学問としての「エビデンス」のみでは割り切れないことも多いでしょう。私は医療の現場は「アート」であるとさえ考えています。例えば、「この薬は効果がある」と伝えたうえで飲んでもらうのと、何も言わずに飲んでもらうのとでは、効果に違いが現れる場合もあるのです。これはもちろん介護も同様で、「学問でない部分」もあることを忘れてはなりません。ヘルパーさんによっても異なる面もあり、また、「決められた範囲の仕事だけでは、割り切れない部分がある」という事も認識すべきなのです。
コラム 「エビデンス」という拠所(よりどころ)
ここ10年ほど医学・看護学の分野で一大ブームとなった考え方。科学的な裏づけをもったデータを基に、個々の患者さんに最適な治療・ケアを考えて行こうとするアプローチ。医学ではEBM(Evidence Based Medicine) と呼ばれる。今後求められるのは、さしずめEBC(Evidence Based Care or Care Management) か。
(解説:菅 武雄)


